書評・【神様のカルテ0】は笑いあり、涙あり、哲学ありの秀作

神様のカルテシリーズ”は既刊順に時系列で物語が紡がれてきた。今作【神様のカルテ0】は、初作神様のカルテを1とした場合、それよりも前の話、つまり1より前の0であると考えられるし、実際にそうなっている。



はたして、”神様のカルテシリーズ”をどの順で嗜んで行くのが良いか。既刊順に嗜むのか、それとも最終発売の0から読むべきか。そう考えると今作0の存在感は否応なく高まる。



僕個人としては既刊順に選んだ方がより物語を楽しめると感ずる。 それぞれの作での人物描写がより楽しめるからだ。



「なぜこの人物はこういった行動をとるのか・・・」少なからず人それぞれの哲学は介在するのだか、このそれぞれの哲学を最初から知ってしまうと、「 なぜこの人物はこういった行動をとるのか・・・」という理由があらかじめ脳にインプットされてしまい、初めて読むはずなのに「なぜこの人物はこういった行動をとるのか・・・」想像する楽しみが半減されてしまうのだ。まるで、推理小説を何度も読んでいるかのように。



少なくとも1から3まで読む限りそのある人物の哲学というのが語られることはなく、あまり良い人物ではないな、というある人物がいる。 今作ではそのある人物の人となりや哲学というものを事細かに描写している。そのある人物の哲学をあらかじめ知ってしまうと、2や3でのその物語が味気なくなってしまう。お酒と一緒で、最初の一口が絶妙に美味いのと一緒だ。



相変わらず笑いの場面も多々あり、ゆえに感動の場面も淡々と語られていて、まるで涙腺に不意打ちを食らうかのよう。



松本の風景、冬アルプスの厳しさ、人間の命のやり取りの中でも常にどっしりと構える大自然。まさに神様のカルテなのだ。



そう、神様のカルテ0ではシリーズ中初めて”神様のカルテ”という語が出てくる。1から3にもただ1回も出ることがなかった”神様のカルテ”という語。それはかくも崇高な語。はたまた人間の限界値とでもいおうか。

そう、人間ができることといったらたかがしれているのだ。医療を過信しすぎないこと。



あらためてそう感じた1冊である。

 

 

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