【神様のカルテ3】・最大の転機、そして新しい物語へと期待

神様のカルテシリーズ中最大の厚さとなっている【神様のカルテ3】。その厚い分だけ笑いあり涙あり物語の種類も多く、相変わらず古風な文体は健在だが決して読み読みにくいわけではない。



人はなぜ無理をしてても働くのか。その背景には想像すらできない過去があるもの。それは己が見る哲学への挑戦とでも言うべきか。



帯の言葉にもある通り 青年医師・栗原一止に訪れた、最大の転機!



ふと周りを見渡せば人それぞれの人生が人それぞれに動いている。いざ自分を省みると一つの場所で立ち止まったままだ。これじゃいけないとは解りつつも日々の忙しさを理由に何一つ変わらぬ日常のまま。



ただ忙しいを理由にしていても、目の前にどんな言い訳もせずにやり通すスーパーマンが現れたら。それがどんなに高い壁として立ちはだかろうか。見ている景色の違いのせいなのか、はたまた哲学の違いなのか。



人間、長いこと生きてくると、大なり小なり誰しもこういった経験はあるものだ。そういったとき人間は自分自身の正当性を立証すべくその相手と議論となりうる。いや時としては単なる口論か。結局哲学の違いが根本にある限り堂々巡りで終わるのが常。



どうだろう己自身の体験と比較してみて。




「美人だ」



これほど短的な褒め言葉でさえ神様のカルテで使われると違和感でさえ思ってしまう。神様のカルテシリーズに出てくる女性は皆魅力的で、それぞれに美人ぞろいなのは言うまでもなく(ここで言う美人とは容姿だけいう単純なことではない)、美人という表現は時として上品なエロスでさえある。神様のカルテでは初めてであろうか、もしや濡れ場になるかという場面がある。こういった小説では、特に神様のカルテのような作風の小説では、濡れ場は品がない性描写となる場合もある。最初から性描写など求めていない場合もあるのだが。もちろん読者側の受けて次第での上品下品という評価にはなるが、僕個人としては小説に下品な性描写は求めていない。求めていないからこその、もしやの濡れ場になるのではという場面が新鮮に驚いた。



神様のカルテ3、読み終わってどうだろう。。。物語の数も多いが、その分読み手の感情の浮き沈みも体験でき非常に楽しめる作品だ。僕としてはまだまだ続きが読んでみたくなる作品でもある。



そんな観点で言えば、欲求不満とでも言うべきか。



神様のカルテ3初版発売2012年。そろそろ本気で続編を期待してしまうのだが。

 

ちなみに今作3で登場する患者の横田さんは、たしか1でも登場したような?